【環境が人をつくり、人が環境をつくる】史上稀にみる恵まれた環境で、音楽性を培ったメンデルスゾーンを解説
芸術の秋真っ盛りです。
コンサートシーズンでもある秋は、演奏家にとって正念場ですね。
さて今回は芸術の秋にあやかり、史上稀にみる恵まれた環境で、音楽性を培ったメンデルスゾーンの生涯と功績について、ご紹介したいと思います。
ヤーコプ・ルートヴィヒ・フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ
- Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy
- 1809年2月3日~1847年11月4日
- ドイツ
メンデルスゾーンは前期ロマン派の時代に生きた音楽家です。
1809年、ドイツのハンブルクで生まれました。
ユダヤ人系の家系でありましたが、父は銀行を経営し、母は宝石商で音楽愛好家でした。
メンデルスゾーン家は、資産的にも環境的にも恵まれており、裕福な家庭のもとに生まれたのです。
また、祖父モーゼスは著名な哲学者であり、学者家系でもあります。
幼少よりピアノレッスンや音楽の勉強を始め、家庭教師や優れたピアニストであるモシェレスなどから勉学・音楽ともに英才教育を受けていました。
たいへん博学で頭が良かったといわれています。
受けた教育水準の高さだけでなく、メンデルスゾーン邸には詩人ハインリヒ・ハイネをはじめとする一流の文化人や知識人が集い、交流があるなど人間関係も非常に恵まれておりました。
さらに注目すべきは、メンデルスゾーンの自宅環境です。
メンデルスゾーン邸の広大な館には音楽室(音楽サロン)があり、お抱えのオーケストラがあったため、10代の才能あふれるメンデルスゾーンは、自宅サロンで自前のオーケストラで自作曲の試演をし、日曜日には自宅で定例開催される音楽会で腕前を披露していました。
そんな史上まれにみる恵まれた環境で音楽性を培ったメンデルスゾーンの功績は、音楽史上もとても有益なものでした。
1835年には、26歳でデュッセルドルフ市の音楽監督、さらにライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団の音楽監督に就任します。
- 1841年:ベルリン宮廷礼拝堂楽長に就任
- 1843年:ライプツィヒ音楽院を創設
ライプツィヒ音楽院ではシューマンとともに教鞭をとりました。
メンデルスゾーンは当時のオーケストラや音楽会に改革を起こしました。
オーケストラの規模を大きくし、また団員に年金を確保して演奏に集中できるようにするなどです。
また指揮棒を振り指揮をして、現在の指揮者のスタイルも作り上げました。
また演奏会のプログラムについても、いろいろな曲目がごちゃ混ぜになっていたのを、序曲から大規模な作品、協奏曲、もう一つの大規模な作品、最後に小品という順番に整え、今日につながるプログラムに整備しました。
現在のコンサートシーンで常連ともなっている下記の有名作曲家の曲をコンサートプログラムとして取り上げ始めたのは、メンデルスゾーンです。
- ・モーツァルト
- ・ベートーヴェン
- ・ハイドン
- ・バッハ
- ・ヘンデル
同年代の作曲家としてリストやショパン、シューマン、シューベルトも紹介しました。
これらの功績により今日のクラシック音楽コンサートのかたちがあります。
メンデルスゾーンは優れた音楽家であっただけでなく、脳卒中が原因で38歳の若さで逝去するまでの短い生涯において、今日の音楽シーンにもつながるようなたくさんの大きな功績を残しました。
音楽家や演奏家にとって、恵まれた環境というのは才能を磨くための大きな力になります。
教育環境といった自分の力だけでは確保しづらい要素もありますが、練習環境などは工夫次第で作り上げることができます。
もしもお子さんの練習環境について防音室を検討されているのであれば、なるべく早く環境を整えてあげることで、才能や可能性が伸びる余地が広がります。
環境スペースにも、未来の演奏家の練習環境について、また第一線の音楽家の自宅音楽室やホールについてご相談を頂くケースが多々ございます。
豊かな才能を生かし、音楽文化の発展に貢献するために、皆様にとって身近な応援隊でありたいと考えております。
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